私にとって初のハイスペックモデル、
河野ギター プロフェッショナルJ
様が我が家にやって参りました。
大好きなモノが手に入ったときの嬉しさは大人になっても変わりませんね。
毎日そのお姿を眺めてはニヤついています。
桜井河野ギター プロフェッショナル-J とは?
桜井河野ギター・プロフェッショナルは、価格で並べるとこんなランクになっています。
プロフェッショナル → スペシャル → マエストロ
左から順にお高くなっていきますよ。
ギタースタンドに上品にお座りになって、私の部屋にいるわけですが、Jちゃんがいるだけでお部屋が華やいでいる気がします。
私が入手したプロフェッショナル-J の履歴
今回入手した 桜井河野ギター プロフェッショナル-J ですが、私にとって理想的な履歴を持っています。
ギターコンクールの優勝商品である
私がお世話になっているギター教室の先生は、かなりの実力をお持ちのプロのクラシックギタリストです。
優勝したコンクールは、もしかすると、片手に余るかもしれません。
そのコンクールの一つの優勝賞品がこのJちゃんなんです。
先生がずっと弾き込んでくれている
つまり、しっかりと教育されています。
スクスクと英才教育で育てられてきた、という感じでしょうか。
自分にとっては願ってもない1品
私はシニアギターコンクールに出場します。
となると、Jちゃんは私に取って“願ったりかなったり”なんですよ。
だって、
ギターコンクールの優勝商品である
先生がずっと弾き込んでくれている
なんですから。
この2大要素が、私を前から引っ張り、さらには背中から押してくれるんじゃないか、と期待しています。
実際、見ただけで、上昇気流が気持ちを持ち上げてきます。
Jちゃんは、頼りになる相棒確定、です。
これまでは松岡良治モデルの量産品を愛用
量産品とはいっても、結婚を機に買ったので、言わば結婚記念みたいなものなんです。
「譲ってくれませんか?」、みたいな話もあったのですが、妻が即で却下、次の弾き手は妻、ということで決定しております。
あ、妻は高校時代に軽音楽クラブでクラシックギターを弾いていたそうです。
と、本人の話には聞いているのですが、以来弾いていないので指が非常にぎこちない、いやいや、ぎこちない動きに現在はなっています。
私もこのギターには約20年お世話になってきました。
いっしょに人前で披露させていただいたこともあり、長年私に付き合ってくれて、同時に、鍛えてくれました。
お蔭で、下手くそが下手くらいにはなれたかなと思っています。
想い出も深いので、感謝の気持ちと共に、手元に置いておきます。
もちろん、たまには一緒に遊びますよ。
桜井河野ギターの歴史
<河野ギターの始まり>
河野 賢(Masaru Kohno)
1948年 現:千葉大建築科を卒業と同時にギター製作を開始
(残念ながら、1998年12月13日、腎盂がんのため死去されています。)
<途中から、桜井氏が参加>
桜井正毅(Masaki Sakurai)
1967年:上智大学電気電子工学科卒業。同時に河野ギター製作所に入社
詳しくはこちらからご確認ください。
桜井河野ギターと呼ばれているのは、こんな経緯があるんですね。
桜井河野ギター プロフェッショナル-J の感想
ざっくりと、私の感想を挙げてみますね。
感想は個人によって違います。(サプリメントみたいですが、笑)
1弦の音が太くなった
これは、私が愛用していた松岡良治モデルと比較しての感想です。
松岡良治モデルは量産品だった、と言ってしまえばそれまでなのですが、ヴィブラートがかかっているかのように、ワォンワォンという余韻を残しながらフェードアウトしていきます。
高音弦はチェロの音が理想、と桜井正毅氏が語っていますが、これがそうなのかな、と感じさせてくれる音です。
感触がよろしい
重量感もあります。
重い、というのとは違う“重み”、があります。
手に持つと、まるでお互いに前から知り合いだったように、シックリ馴染みます。
練習に集中させてくれる
当たり前ですが、表現力は間違いなく松岡モデルを超えていて、一つ一つの音が気持ちいい。
ポンと即座に応えてくれる感じなので、丁寧に演奏しなくては、と思えます。
結果、集中力がアップして、曲にも入っていきやすくなりました。
ギターが変わっただけなのに、マジで自分の腕が上がった、なんて錯覚をしております。
この高揚感、イイ感じです。
Jちゃんに可愛がってもらいます
桜井河野ギターのお値段ランキング3位とはいえ、私にとっては、お値段も品質も過去最高のクラシックギターです。
過去に「もっと良いギターにしたらイイのに…」なお言葉をある人にちょうだいした事があるのですが、今回Jちゃんをお招きしてハッキリその意味が分かりました。
高いギターは格が違います。
いろいろな角度からテンションを上げてくれます。
先生がここまで育ててくれたのを私が不良にしてしまっては申し訳ないので、大切に大切に弾き込んで、私自身を育ててもらおうと思います。
それはつまり、「しっかり練習しろよ!」と自分自身に言い聞かせているんですけどね。