『引き寄せの法則』って本当は逆なんじゃない?

『引き寄せの法則』って、全国津々浦々で毎日のように登場してる言葉だと思うのですが、
ワタシね、この言葉を耳に目にするたびに思うことがありまして、、、

『引き寄せの法則』という表現は適当じゃないんじゃないかと、、、
『近づきの法則』という表現がより真実なのではないかと思うのです!

あ、あ、
『近づきの法則』というのは、自分から近づいていくってことですよ。
むこうから近づいてくるってことではありませんよ。それだと『引き寄せの法則』になっちゃうので。。。
ヤヤこしくてスミマセン。

『引き寄せの法則』という言葉がもう浸透しちゃってるんで、今さら感がなくもないんですが、、、

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とてつもないラッキーがある日突然勝手に自分に近づいて来ますか?ってハナシ

夢や目標ってのはつかみ取るもの!ですよね?

夢や目標というのはとても大きなものです。多くの場合そうですよね。
簡単に実現できるものではない。

例えば、シニアギタリストになる!という目標。

ある朝目覚めたら、

『やったゼ!あの難曲が涼しい顔で演奏できるようになっちゃってるよー♪
ラッキー!!!』

なんて事はまず起こりませんよね。
そんな目線で考えると、達成や成功が引き寄せられるというより、自分の意志で行動して目標に近づいて手に取った、という解釈が私の場合は腑に落ちる。引き寄せ、は違うと思うんだよねー。

 

みーんな夢や目標に向かって努力しています

何かしらの明確な目標があって、それを実現できる人は、日々の練習を怠りません。
この努力こそが、自分の意志で自分の定めた夢や目標に向かって近づいているということ、ですよね。

ニュートンが万有引力を発見できたのは、「物体はなぜ下に落ちるのか?」ということをずーっと考えていたから、と言われています。
思考の行動ですね。その甲斐あって、遂に閃きが舞い降りた。
というのに近いのではありますまいか。

目標に向かって心も体も動き続ける、というところに大きな意味を感じます。

 

さらに『近づきの法則』をゴリ押ししてみます

小から大へ向かうのが自然である

例えば誰かが小さな店をオープンした。
これが大当たり!
2号店を出すことになった。

さらに口コミで広がりビジネスが拡大の流れに乗る。
全国的にフランチャイズで展開することになった。
小さな動きが積み重なって大きな動きになっていきます。

動くことで運を開く

『生きてこそ』という映画(実話)があります。
ご存知の方も多いでしょう。

45人乗りの小型機がアンデス山脈で墜落・遭難。
しばらくは捜索で発見されるのを待ちますが、彼らは見つけてもらえず、捜索は打ち切られます。
もう待てない。遭難者の中の2人が助けを求めて動きます。そして人のいるところへ到達。生存者16人が生還します。

 

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『引き寄せの法則』は「待ち」の要素が強い感じがする

これだけやったんだから何かしらの結果が引き寄せられて訪れてくれるだろう。
そんな根拠のない期待の中に身を置いてしまってるような気がします。

マジで狙ってるんなら撃ち落とせば良い。
ならば、ハズさない距離まで近づいてズドン!っていうのが確実にモノにできる。
だからこその日々の練習です。私は常にそう思ってアコギを練習しています。

なんてね。
『引き寄せの法則』というのが現れると、『近づきの法則』でしょうよ!といつも思ってしまう私なのです。そんな考え方をする習性なのね。

実は私も日常生活では『引き寄せの法則』というのを使っています

何故かというと、先行者優位というのに敬意を表しているのと、シーンによっては話がムダに長くなっちゃったりするから。

心の中では『近づきの法則』といつも思っています。
自分の心の中で切り換えるという作業はとても大事です。

取りに行く、っていうのが行動的でカッコイイんじゃないでしょうか。
男はこうでなくちゃね。って思わない?

 

まとめ

よく使われているんだけど「?」な感じの言葉って、たま~に見つかったりします。
そんな時、私は自分なりの発想で整理して着地させます。
この作業は、自分をキープする、という意味でもかなり重要です。

みんなが使ってるからそのまま乗っかる。
これって、個性埋没の危険アリ、でしょ?

有名人(日本人に限らず)が書いた大ベストセラーであったとしても「?」な部分はあったりします。

言葉ではありませんが、、、
NHK大河ドラマで『琉球の風(1993)』というのがありました。琉球王朝を題材にしたドラマです。
あるシーンで、竹で編んだかごに数本のゴーヤーとナーベラー(へちま)を入れたのを置いて、という設定がありました。制作サイドとしては沖縄感を演出したつもりだったのでしょうが。。。

これね、ウチナンチュの目から見たらすごい不自然。わざわざこんな置き方はしないし。
「で、チミは何がしたい訳?」な状況です。

これをお城の中でやっちゃったら、
『これをここに置いたのは誰だ。おいチミ、台所の担当をここに呼びなさい。』
みたいになるんじゃないかなぁ。

とまぁこんな感じで、何かに触れた時に自分の中に湧き出た疑問にフタをしない、という姿勢はキープしたら良いんじゃないでしょうか。
個性を発揮して生きる、ということを考えると、これは私の中ではハズせない習慣です。

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