はじめまして。管理人(1958年生まれ)の「ぽろんじゃん」です。
このページにお越しくださいまして有難うございます。
少々長いかと思いますが、最後まで読んでいただけたらペットの猫ちゃん2匹と飛び上がって喜びます。
それでは始めますニャア~ん♪
中高時代はフォークソング・歌謡曲・演歌など、日本歌謡界の全盛期
高校時代は日本歌謡界全盛期の音楽シャワーを浴びておりました。
お昼休みは朝顔スピーカーから中村雅俊の『ふれあい』が流れてきたり、山本コウタローとウィークエンドの『岬めぐり』が流れてきたり。
家に帰れば『ザ・ベストテン』を観る、ラジオからも絶え間なくヒット曲が流れる、という歌謡曲天国。
あの最高に音楽に恵まれた時代がなかったなら、クラシックギターからの広がりはなかったと思うのです。
アコギのスタートはクラシックギターでした
友人がクラシックギターをやっていたという流れで、「クラシックギターで合奏曲をメインに演奏するギタークラブ」に参加したのがギター活動の始まり。
やがて楽譜が読めるようになり、音楽の世界が広がっていきます。
フォークソングのコピーをクラシックギターで弾き始める
楽器屋ではヒット曲を楽譜化したレコードコピー本が売られていました。当然、買います。
学校のお昼休みにフォークソングのレコードコピーをクラシックギターで弾く、というのが当時としてはもう日課。もちろん勉強なんてそっちのけ。
神田川のイントロをトレモロでやると男子の「おぉ!」な野太い歓声が上がったりして、そういうのが楽しくて気持ちよくて、もはや学校へはギターを弾くために通っておりました。
フォークデュオを結成して地域のコンテストに出場
当然の流れとしてフォークソング同好会なるものを結成。さらに自然の流れで、友達と二人で『五円玉』というフォークデュオを結成します。ご縁と五円をかけたのよ。
作詞:友達・作曲:ぽろんじゃん、なオリジナル曲を作って地域のコンテストにも出場。
この時に、ステージの心地よさを知るのであります♪
高校卒業後はギターから離れる
ギタ三昧の高校時代を経て、“卒業後は予備校生活”というのがわが母校進学組のドドド定番。
覚悟はしていたものの、この浪人生活っていうのがねー、なかなか精神的にもキツかったんでございます。
そのキツさの反動か、大学入学(なんとか志望へ)後には、「あの空白の浪人時間を取り戻すゾ。」モードに入っちゃって、心の中に音楽をやるスペースがなくなります。
社会人になってもギターとの距離が縮まることはなく、40歳あたりまでギターを弾くことはありませんでした。
気づかぬまま精神の筋トレをしてた浪人時代
大学に落ちるっていうのはなかなかの破壊力がありまして、現役時代に受験勉強なんてほとんどしてなくたって、自分を全否定されたようで、好きなことをすべてガマンして受験に打ち込みました!並みに図々しくもいっちょ前に凹みました。
受験は個人戦だ、と理解はしていても、これから進まなくてはならない道のりがとても長く感じる。だって、人生初の未知の道だったんだもの。
街ですれ違う同世代たちがキラキラして見える。なのに自分は、あぁ、といった“自主生産プレッシャー”が隙を狙っては襲いかかる。
やらねば底なし沼へと沈んでいく、漠然とそんな怖さがありましたねー。これって、浪人あるあるじゃないかと思います。
粘ってると光が見えてきて、独学の基礎になった
しかーし、人間って慣れるんだよねー。この能力はホントにありがたい!3ヶ月くらいやってると数学の楽しさがわかってきて、予備校内の模試でも上昇気流な結果が表れ、「何とかなるかもしれない、よかったァー!」というね、ちょっとした光を感じます。
徐々に自分のペースをつかみ、勉強スタイルができてきます。
予備校の授業を復習、問題集を買って自分で解いてみる、知らなかったことは参考書で調べる。この繰り返しの中で、自分で調べて身に付けるという独学の習慣が身に付きました。
この経験はクラシックギターの習得にも大いに役立っておりますよ。
60歳目前でクラシックギター本格挑戦を始める|ちゃんと死ぬために
そんな人生を歩んできた私、気づけばギターから離れること数十年。
さすがに50代半ばあたりから、自分の人生をどう仕上げていくか、というのを本気で考えるようになり、何をするのが一番自分らしいのか、いろいろ探します。
四の五の言うのはもうヤメ、これに決めな!な心の声に素直に、クラシックギターを極める道を選びました。何かを好きになるってさ、自分のDNAに深く関わってるんじゃないかと思いますよ。
そして、人生を自分なりの合格点で完成させるべく、59歳からプロのクラシックギタリストに指導を仰いでいます。60代の時間の流れは6倍の速さになるのだそうですが、まさに『光陰矢の如し』、早くも3年以上が過ぎました。
プロの刺激を受けながら
指が届かない、リズムがつかめない、など、いろいろな課題が次々顔を出して時間がかかりながらも、自分のクセも修正しつつ、焦らず怠けずマイペースでやってます。
客観的に自分が見れたり、「あっ、ボクにもできた♪」な新しい発見もあったりして、なかなか楽しい。プロってね、あっちゃこっちゃ刺激してくれるのがたまりません。
クラシックギターは幹|その先に枝葉がある
ゆくゆくはアコギでいろいろ音楽活動をしていきたい!と考えています。となると、「人前でアガらずに」「ギターが弾けるように」ならなくてはなりません。
「ギターが弾けるように」に関しては、現在進行形でプロの先生に習っているのでそこは一応クリアしたとして、「人前でアガらずに」をどうするかです。
場数を踏むっていうのもありますよね。これは3ヶ月に一回、ギター教室の発表会があります。
だがしかし、舞台度胸をつけるためにはまだまだ弱い、というのが正直な感想。
心臓に毛を生やすためにシニアギターコンクールに挑戦するよ
アガり克服のために、大きなところに自分を引っ張り出して頑張ってみよう、と思いついたのがシニアギターコンクールへの挑戦です。
調べてみたら、プロのクラシックギタリストさん達に審査される、一般聴衆さん達が演奏を聞きにくる、という状況の中、ステージ上で、ひ・と・り、で弾く。ひ・と・り、想像しただけでなんかゾワゾワするぅ~
この状況を体験したら、心臓の毛根が(あれば)サッサと刺激されて超速で心臓に毛が生えるんじゃないだろうか?と思ったんです。まぁ手っ取り早く“心臓毛根刺激メソッド”を実践ですね。
正直言って、「あわよくば…」、な気持ちもあるにはありますが…、どーだろー???
どんな強者が現れるかわからないし、本番で私の精神構造がどんな状態になるかも未知数。だってコチラも人生初ですから。
地味~な練習がこれからも続きます
なりたかった自分に近づいている
比較するのはあくまでも自分。ギター教室に通い始めた3年前に比べたら、現在の自分が一番「なりたかった自分」に近いのは間違いありません。
どこまで近づけるのか
これは現時点ではわかりません。まぁ、わかりませんよねー。でも、わからないからこそ楽しい。
挑戦を続けるために健康維持は欠かせないので、健康寿命を延ばす、についてはいつも考えています。
心臓に3本くらい毛が生えるように、“毛根養成地味コツ練習”を楽しく続けていくのであります。