~弾き語りからアコギソロまで〜

竹内まりや『駅』の歌詞の意味バトルがアツいので独断分析してみた

 
竹内まりや『駅』歌詞論争
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アコギ仲間を増やしたい!アコギが弾けるシニアさんが増えて欲しい!いつもそんなことを考えながら記事を書いているよ。
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竹内まりやの『駅』について、ふたつ前の記事で書きました。

で、ひょんな事から、こんなサイトを見つけました。
竹内まりやと中森明菜は真逆の解釈!切ない名曲「駅」の真実

竹内まりや『駅』の歌詞論争が実にアツいのです。
なんかモゾモゾと興味が湧いてきまして、オレも書いてみよっと!と思った次第です。どうぞ、よろしくお付き合いくださいませ。

『駅』の解釈が180度変わってしまう!というフレーズが論争の的

まず歌詞を再掲しますね。

『駅』の歌詞 作詞作曲:竹内まりや

見覚えのある レインコート
黄昏の駅で 胸が震えた
はやい足どり まぎれもなく
昔愛してた あの人なのね
懐かしさの一歩手前で
こみあげる 苦い思い出に
言葉がとても見つからないわ
あなたがいなくても こうして
元気で暮らしていることを
さり気なく 告げたかったのに……

二年の時が 変えたものは
彼のまなざしと 私のこの髪
それぞれに待つ人の元へ
戻ってゆくのね 気づきもせずに
ひとつ隣の車両に乗り
うつむく横顔 見ていたら
思わず涙 あふれてきそう
今になってあなたの気持ち
初めてわかるの 痛いほど
私だけ 愛してたことも

ラッシュの人波にのまれて
消えてゆく 後ろ姿が
やけに哀しく 心に残る
改札口を出る頃には
雨もやみかけた この街に
ありふれた夜がやって来る
ラララ ララララララ・・・・

 

歌の解釈が180度変わってしまう!のフレーズがこの部分。
私だけ 愛してたことも

私だけ(を)愛してたことも、じゃないのか?
私だけ(が)愛してたことも、じゃないのか?
という2つの派が意見を闘わせています。

私だけ(を)愛してたこともでしょうよ!
と私は思うんですけどね。

歌詞の流れで読み取るのが一番でしょう

私だけ(が)愛してたことも
という解釈がピタリ!なら、

歌詞は恨み節になっていてもおかしくありませんが、そんな箇所はありませんよね。
どちらかというと、この女性の後悔と反省を感じさせます。

そんな女性がいきなり自己主張とか被害訴えに転じるとも思えないので、
私だけ(を)愛してたことも
と言う解釈が、感情の流れとしても自然
だと思うのです。

 

中森明菜の『駅』の歌詞解釈と生き方の表裏一体

中森明菜は、私だけ(が)愛してたことも、と解釈して歌ったのだそうです。
当然、歌詞全体を読んでるはずなので、明菜がなぜそっちの線に行ったのかは意味不明ですが。。。
この解釈については、中森明菜の考え方というか、彼女の個性も考えた方がわかりやすいでしょう。ということで、彼女のヒット曲から中森明菜という個性を考察してみましょう。

中森明菜のヒット曲から明菜の個性をチェック

Desire~情熱~
飾りじゃないのよ涙は
ミ・アモーレ
TATTOO
難破船
少女A

射るような目線でバシッ!とキメるのが中森明菜の持ち味です。まさにこの歌は彼女にピッタリ。
井上陽水提供の楽曲ですが、明菜の方がシックリきますね。

ヒット曲の多くが、射るような目線でバシッ!とキメる、なのであります。

中森明菜は気性が激しい、というのが周囲の評価としても多いようですが、これは本当なんでしょうね。歌を聞いてるとそれは伝わってきます。
しかして、その気性の激しさゆえに歌に強烈な迫力が加わるという大きなプラスもある。

 

強く押し過ぎてトラブル発生か?

中森明菜が歌った『駅』は、提供側からするとあまりにもイメージからかけ離れていて、山下達郎は激怒した、とも書かれています。
もしかすると、裏方さんたちがヤキモキするというプロセスがあったのかも知れません。

山下達郎を激怒させた中森明菜
中森明菜の感性を認めきれなかった山下達郎
立ち位置が変われば意見が変わる。人間ってほんと十人十色。難しいよねー。

ストレートに言っちゃいますと、明菜は男の手に余るイタイ女でもあったんじゃないか、と思います。
強烈な迫力を実生活でも出されちゃうと、普通の男なら引いちゃうし、面倒臭くもなる。感情のコントロールが苦手だったんでしょうね。

 

業界の仕組みはどうなっているのだろう?

普通の仕事だと、「これこれこうで、、、」みたいな申し送りや説明は欠かせません。ここを怠ると、業務上の支障が発生したり、お客様からクレーム、と事態になったりもします。

果たして、音楽業界での楽曲提供と言うのはどのような形で伝えられるものなのでしょうか?

歌詞の意図はちゃんと伝えたのだろうか?

竹内まりやは「私だけ(を)愛してたことも」という視点に立っています。
これを明菜サイドに伝えたのか、というのが気になるところ。
伝えたけど明菜が自己解釈に走ったのか、というのも気になるところ。

中森明菜が自分の解釈で歌っているのはこれを聞けば明らかです。

何でここまでボソボソな歌い方なんだろう?というのが私の感想。
明菜としては、今にも崩れ落ちそうな、、、を演出したのかも知れませんね。

 

作品とアーティスト

作品の一人歩きは楽しい♪

私だけ 愛してたことも
このわずか1文字分の空白がこれだけの論争に発展するとは、竹内まりや本人も思ってはいなかったでしょうね。
ここを狙ってたとすれば、、、いやいや、まずありますまい。

作った本人が予期していなかった方向へ作品が勝手に歩き出すというのもなかな面白いですよね。

アーティストの個性のぶつかり合いとして楽しもう♪

中森明菜は自分の解釈で歌った。
山下達郎は自分の解釈でアレンジして「Impressions」に収めた。

お互いに自分の個性を通せています。
選択はファンの自由。

あまり感情移入をし過ぎず、適当な距離を置いて音楽として楽しむ。
完全傍観者を決め込む。
それで楽しむのが吉、かと思います。

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